風邪の咳なら、数日から一週間もすれば、自然と治まっていく。しかし、マイコプラズマ感染症の咳は、なぜこれほどまでに、しつこく、そして長く続くのでしょうか。その背景には、マイコプラズマという、細菌の中でも非常に特殊で、狡猾な性質を持つ病原体の、独特な感染メカニズムが深く関わっています。マイコプラズマの咳が長引く理由は、大きく分けて三つあります。第一に、「細胞壁を持たない」という、その特殊な構造です。一般的な細菌は、細胞の外側を「細胞壁」という硬い壁で覆っています。多くの抗生物質(ペニシリン系やセフェム系など)は、この細胞壁の合成を邪魔することで、細菌を殺します。しかし、マイコプラズマは、この細胞壁を、そもそも持っていません。そのため、風邪や気管支炎で一般的に処方される、これらの抗生物質が、全く効かないのです。もし、初期に通常の風邪と誤診され、効果のない抗生物質を服用し続けていると、その間にマイコプラズマは、体内でどんどん増殖し、気道の奥深くまで炎症を広げてしまいます。これが、治療の開始が遅れ、咳が重症化・長期化する、最大の原因の一つです。第二に、マイコプラズマが「気道の線毛細胞に強力に付着し、破壊する」という性質です。私たちの気道の表面は、「線毛」という、細かい毛のようなもので覆われており、この線毛がベルトコンベアのように動くことで、侵入してきた異物や痰を、体の外へと運び出しています。マイコプラズマは、この大切な線毛細胞の先端に、まるでカギ爪のようにがっちりと付着し、毒素を出して、線毛の動きを止め、やがては細胞そのものを破壊してしまいます。これにより、気道の自浄作用が著しく低下し、痰がうまく排出できなくなったり、気道が過敏になったりして、激しい咳が長く続くのです。そして第三に、マイコプラズマ感染が引き起こす「過剰な免疫反応」です。マイコプラズマという異物に対して、私たちの体の免疫システムが、過剰に反応し、サイトカインという炎症を引き起こす物質を大量に放出します。この過剰な炎症が、気道の粘膜に強いダメージを与え、咳の長期化に繋がると考えられています。狡猾な構造、細胞へのダメージ、そして過剰な免疫反応。この三つの要素が複雑に絡み合うことで、マイコプラズマの咳は、他に類を見ないほどの、しつこさを獲得しているのです。
なぜマイコプラズマの咳は長引くのか