三十代後半の男性Tさんは、ある大手企業のプロジェクトマネージャーとして活躍していましたが、異動を機に担当業務の性質が変わったことで、深刻なメンタルヘルスの不調に陥りました。それまでのクリエイティブな企画業務から、緻密なスケジュール管理と膨大な事務処理が要求される管理業務へとシフトしたことが、彼の運命を大きく変えたのです。Tさんは次第に、部下への指示出しの漏れや、会議の二重予約、経費精算の遅延を繰り返すようになりました。もともと責任感が強かったTさんは、睡眠時間を削ってまでリカバリーに努めましたが、空回りし続け、ついには朝起きることができなくなり、激しい動悸と涙が止まらない状態となって、近くの心療内科を受診しました。当初の診断名は「適応障害」でした。休職し、抗うつ薬の服用で気分は一時的に安定しましたが、復職を検討し始めた段階で、Tさんは根本的な恐怖に気づきました。「またあの事務処理の地獄に戻れば、同じことを繰り返すのではないか」という予感です。ここで担当医は、Tさんの不調の背景に発達障害の特性が隠れている可能性を示唆し、発達障害を専門とする精神科での精査を勧めました。転院先の精神科で行われた検査の結果、Tさんには重度のワーキングメモリー(情報の一次的な保持)の欠落があり、一方で言語理解や発想力は極めて高いという、典型的なADHDのプロファイルが浮き彫りになりました。これまでのTさんの成功は、高い知能で特性をカバーしてきた結果であり、管理職という「不得意なこと」を強要される環境下で、その補償機能が限界を迎えたことが今回のダウンの原因だったのです。診断を受けたTさんは、ショックを受けるどころか「自分のせいではなかったんだ」と晴れやかな顔をしました。その後、Tさんは薬物療法を開始するとともに、産業医や人事担当者と相談し、管理業務ではなく企画専門の職位への配置転換を申し出ました。自分の特性を客観的な診断書とともに会社に伝えたことで、周囲の理解も得られやすくなり、彼は現在、自分の強みを最大限に活かせるポジションで再び活躍しています。この事例が示唆するのは、大人のADHDはしばしば「適応障害」や「うつ」という仮面を被って現れるということです。何科に行けばいいか迷っているうちに二次障害が悪化してしまうケースは多いですが、Tさんのように早期に専門医の精査を受けることができれば、病名の特定だけでなく、働き方そのもののリデザインという根本解決に繋がるのです。