私が自分の身体に起きている異変を「性格や怠慢」ではなく「病気」だと確信したのは、通勤中の赤信号で停止したわずか数十秒の間に、深い眠りに落ちて後続車のクラクションで飛び起きた、あの背筋の凍るような瞬間でした。今思えば、その数年前から私の日常には無数のサインが散りばめられていました。当時の私は四十代半ばで、仕事の責任が増す一方で、慢性的な倦怠感に悩まされていました。毎朝、目覚まし時計が鳴っても身体が鉛のように重く、頭の中には常に霧がかかっているような感覚がありました。妻からは「あなたのいびきは隣の部屋まで響くほど激しく、時々死んでいるのではないかと思うほど息が止まっている」と何度も忠告されていましたが、私は「仕事が忙しくて疲れているだけだ」と笑って受け流していました。しかし、日中の眠気は次第に常軌を逸したものになっていきました。午後の会議では、どんなに自分に言い聞かせても瞼が落ち、数秒間だけ記憶が飛ぶ「マイクロスリープ」が頻発しました。デスクでパソコンを叩いていても、ふと気づくと意味不明な文字列を入力しており、同僚からの指摘に冷や汗をかく日々が続きました。休日にどれだけ寝溜めをしても、昼過ぎにはソファーで泥のように眠り、起きたときには余計に身体がだるい。そんな私を救ったのは、心配した妻が強引に予約を入れた睡眠外来での診察でした。病院でこれまでの症状を話すと、医師は私の首回りの太さや喉の構造を確認し、すぐに簡易検査キットを自宅に送ってくれました。寝る前に指先にセンサーをつけ、胸に装置を巻いて一晩過ごすだけの簡単な検査でしたが、その結果は驚愕すべきものでした。一時間あたりに呼吸が十秒以上止まる回数を示すAHIという数値が、重症の基準である三十を大きく超え、五十を記録していたのです。つまり、私は一晩のうちに四百回近くも窒息状態を繰り返していたことになります。これでは脳が休まるはずがありません。診断名は「閉塞性睡眠時無呼吸症候群」。医師から「あなたは毎晩、全力で首を絞められながらマラソンをしているような状態です」と言われたとき、これまでの倦怠感のすべてのパズルが繋がった気がしました。治療としてCPAPという、鼻から空気を送り込んで気道を広げる装置を使い始めてからの生活は、劇的に、そして魔法のように変わりました。初めて装着して寝た翌朝、カーテンを開けた瞬間に感じた「視界の鮮やかさ」は、二十代の頃以来の感覚でした。頭の霧が綺麗に晴れ、仕事中の眠気が全く来ないのです。夕方になっても体力が残っており、家族との会話を楽しむ余裕さえ生まれました。無呼吸症候群の症状は、本人にとっては「いつもの不調」として日常に溶け込んでしまうため、非常に見つけにくいものです。しかし、その影で心臓や血管は確実に悲鳴を上げています。もし、かつての私のように、朝の頭痛や日中の耐え難い眠気、そして家族からのいびきの指摘があるのなら、どうか「たかがいびき」と侮らないでください。適切な治療を受ければ、これまで失っていた人生の時間を取り戻すことができます。病院の扉を叩く勇気が、私の人生を文字通り、死の淵から救い出してくれたのだと今なら断言できます。