私の生活がガラガラと音を立てて崩れ始めたのは、今から五年前、真夏の猛暑が続く日のことでした。当時の私は働き盛りの四十代で、ストレスを言い訳に夜な夜な甘い缶コーヒーを何本も飲み、深夜に炭水化物を詰め込むような生活を送っていました。最初に現れた異変は、喉の渇きでした。単なる夏の暑さのせいだと思っていましたが、それは次第に常軌を逸したレベルに達しました。蛇口から出る水を直接何リットルも飲み、それでも三分後には喉の奥が張り付くような感覚に襲われるのです。そして、飲んだ分はすべて、いや、それ以上の勢いで尿となって体外へ排出されました。一日に十五回、二十回とトイレへ駆け込み、最後には尿意のために外出することさえ恐怖に感じるようになりました。何よりも不気味だったのは、夜中のトイレです。寝室とトイレを往復するだけの夜を過ごし、鏡に映る自分は、幽霊のように青白く、たった数ヶ月で頬がこけ、別人のように痩せ細っていました。私の身体は、間違いなく悲鳴を上げていたのです。それは、入りすぎた「糖」という毒を、水で薄めて必死に洗い流そうとする、全細胞を挙げた決死の浄化作戦だったのだと、後になって知りました。当時の私は、自分の身体が自分を守ろうとして頻尿を引き起こしているとは思いもせず、ただ「不便で、情けない不調だ」と自分を呪っていました。ある日、職場での立ちくらみを機に受診した病院で、私は即日入院を告げられました。血糖値は五百を超え、主治医からは「あと一歩遅ければ昏睡状態だった」と言われました。入院中、点滴を受けながら次第に尿の回数が減り、喉の渇きが癒えていく過程で、私は自分の身体に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。私があれほど不摂生を重ねても、私の腎臓や膀胱は、最期まで私を生かそうと働き続けてくれていたのです。頻尿は、私にとっての「終わりの始まり」ではなく、「再生のためのアラート」でした。退院した今、私は一日に数回、穏やかな尿意を感じてトイレへ向かうたびに、その静かな生理現象に感謝の念を抱きます。身体が正常に巡っている、その当たり前の奇跡を噛み締めています。もし今、あの日私を襲ったような激しい渇きと頻尿に震えている人がいるなら、どうか自分の身体の声を信じてあげてください。身体はあなたを見捨ててはいません。ただ、自分たちの力だけでは処理しきれない事態が起きていることを、尿の回数という唯一の方法で伝えようとしているのです。その叫びを受け止めるのは、あなた自身の意志に他なりません。